気候対策はどうなっていくのか?

当時は社会問題になっていたが

 特に皆さんは京都議定書というものは既にご存知だと思いますが、スタートしたのは1997年、京都にて「気候変動枠組条約第3回締結国会議」が開催された事によります。ここでは京都議定書により二酸化炭素、メタン、フロンガスといったような温室効果ガスの総排出量を削減することが取り決められ、削減目標は国ごとに割り当てられ、先進国全体で2012年までに1990年の総排出量から5.2%削減することが求められています。これは2050年までに総排出量を半減させるという長期目標に比較して微々たる量でありますが、排出削減で合意したこと自体にある程度の意味があるということで決着が付きました。

 京都議定書については、ロシアはいわゆる「ホットエア」の問題がある他、EUは東欧への技術導入でCO2削減が比較的容易でしたので、日本等は他国に比較して追加的にCO2を削減するのに大変費用がかかるという問題もありました。

 しかし、そういった問題があるにも関わらずマスコミの加熱報道によって、この京都議定書という仕組みがスタートしてしまったのでした。

アメリカの脱退とその後の不穏

 温暖化問題に理解のあったクリントン政権のアル・ゴア副大統領が選挙で敗れて、京都議定書から米国ブッシュ政権が離脱し、議定書の発効自体が危ぶまれた時期もありましたが、ロシアが枠組みに入ることにより発効しました。その後、米国は大排出国のみの多国間技術協力パートナーシップを進め、独自路線で国際的温暖化対応を進めています。

 環境問題の本質的課題である地球温暖化問題の解決には、アメリカ・中国・インドの排出削減義務が必須だという面もあり、途上国である中国・インドを説得するには、まず米国の京都議定書が必要であるという意見でてきました。その一方で、各国目標値を恣意的に決めるのではなく排出量取引を活用して効率的に削減を行うべきだという議論や、技術協力を主軸としたインセンティブを主とした手法をポスト京都議定書では採用すべきではとの声もあがってきています。

 しかしそんな中で、あろうことかここ17年間に至っては地球の平均気温が全く上がらず、逆に下がり寒冷化しているという本末転倒な事象もおこっています。地球の温暖化による生態系などへの悪影響を考えた施策だったのにも関わらず、寒冷化しているとなれば、本当にばかみたいな話です。

それ以上の無駄が京都議定書にはある

 またそれだけではなく、温暖化しているしていないに関わらず京都議定書に定められた削減目標を達成できなかった場合は、二兆円の罰金を支払わなくてはいけないという事になっているのです。そうしたことから、一部ではこの仕組み自体を一度見直し、公害対策や後進国の設備向上の為の技術提供へと切り替えたほうがいいのではという意見が出ていますが、ニュースなどで取り上げられることは全くありません。選挙費用の700億円が無駄だという加熱報道をしている一方で、今二兆円もの税金が、そう言った無駄な環境対策によって支払われようとしているのにです。

未だに北極の氷が溶けるイメージがある

 それにはやはり、未だに温暖化によって北極の氷が溶けているイメージがあるのだと思いますが、実際問題北極の氷はここ数年で増え続けているのです。確かにこれまでは産業に効率化・能率化が図られた結果、機械の導入等によってエネルギーの消費が増えるようになり、環境に悪影響を与えてきたという事実もあり、さらに環境負荷を軽減しようとすれば、産業の発展や生活水準の向上が妨げられるのは少なからず仕方がないと思っている人も殆どだと思います。しかし、実際には我々の努力と全く関係無いところで環境は突如悪化したり、好転したり、(何をもって好転したとするかは難しい議題ですが)ところころ変化してしまっているわけなのです。

一方で広がる環境ビジネス

 一方で環境市場や環境ビジネスは拡大し続けていて、環境保護をテーマにした商品や企業も増え続けています。自らの損失を省みない献身的な環境保護活躍・環境対応が民間を中心に行われている一方、利益のための環境保護活躍・環境対応も行われています。利益が生まれ、かつ実効性のあるものもありますが、中には実効性が無く環境負荷が増えるものを「地球にやさしい」等と称しているものもあったり、また地球にやさしいとしょうしていながらも、それによってどう環境が改善されるのかといった部分に関しては全く明示していない代物もあったりします。結局のところ何となく環境に良さそうだ。何となく良いことをしてそうだというイメージによって動かされているというのが今の現状だと言えるのです。特に再生可能エネルギーなどの問題はこれを異常なまでに推し進めたものがあり、エネルギー収支を無視したような物が推進されようとしていたり、また環境に対しての影響が全く無いのにも関わらず、悪者のようなイメージを植え付けられているものまでが存在しているという結果になってしまっているのです。